In Memory of Belisalius ベルサリウス(リーマス) ベルサリウス(リーマス)

貴方がショーの会場に立つとき・・・
私達はどんなに心を躍らせたか
それは、白銀のリングに
舞い降りる白馬の様に
気高く、華麗に、美しく
人目を惹き付けずにはいられない
オーラと共に、私達を
別世界に誘ってくれました

貴方がリングを走り
私達は胸を熱くときめかせ
貴方がリングで止まり
私達は手を握りしめ息を止め
貴方が審査員の目を釘付けにし
選ばれたその瞬間・・・
私達は、幾たび感激の涙を
分けあったことでしょうか
感動の嵐は輪を広げ
すばらしい思い出と多くの友人が
貴方からの贈り物でした

私達は、いつまでも貴方を忘れはしない
写真を見るたび、ビデオを見るたび
友人と話すとき、貴方を思い出します

甘えん坊だったリーマス
わがままだったリーマス
リングに立つとまるで別犬の様に
凛とした気品は他を圧し
プラチナホワイトの被毛は
風の神々に祝福され
その美しいさ誇示したリーマス
それは、まさにドラマでした
大きな夢でした

ありがとうリーマス
ありがとう・・・

ベルサリウス物語ボルゾイの歴史を塗りかえて
ボルゾイ

わたしも一緒に泣きましょう。
(マジェンカケンネル・カレンさん)

この犬をイギリスに持って帰りたい。
(故ハリージョルダン イギリスのトップジャッジ)

この犬をスウェーデンで輝かせましょう。ポケットに入れて帰りたい。
(スマラグデン・ビビ・ルンドバーグ パピヨン "ポーカーフェイス" のブリーダー)

本当に素晴らしい犬を見せてもらいました。ありがとう!
(故エド・ディクソン 本部展にて)

リーマスは唯一無二の存在。永遠に汚れることのないダイヤモンド。
(清田由紀子)

リーマスを独り占めできた、私は幸せでした。
(門田久美)

貴方を信じてよかった。ありがとう。
(ベルサリウスのブリーダー、タミー・ニクソン)

貴方と出会い共に過ごせたことを、誇りに思います。沢山の楽しい思い出ありがとう。
(佃千悦子)

二頭のベルサリウス

ビッグショーでのベルサリウス

ビッグショーでのベルサリウス

1991年度のボルゾイナショナルで、アワードオブメリットに選ばれたAM.CAN.CH. Tashamoff Belisarius 呼名ロムに魅せられ交渉を開始しました。調べて行くうちにこの兄弟達はすばらしい名犬揃いで、1992年度ウエストミンスター展でベストオブブリードを獲ったレイシー及びAM.CH. Tashamoff Foma Belisarius 呼名リーマスと一胎で三頭のスーパードッグがいたのでした。交渉を進めて行くうちに、全米のトップランキング犬の一頭であるロムより弟のリーマスに惹かれていき、リーマスはどうかとお願いしたが、この犬は来年よりキャンペーンするので譲れないとの事。ロムを譲ってもらうことになりました。この犬が最初のベルサリウス(ロム)でした。ロムは性格も穏やかですばらしくフレンドリーな誰からも愛される犬でした。来日後しばらくしてから、私達がアメリカのドッグショーから戻った時、ロムがかすかに足を引きずっているのを発見。日本大学獣医病院の診断の結果、ガンであることが判明しました。

ウエストミンスター展にて

ウエストミンスター展にて

数ヶ月しかたたなくてもロムはもう私達の子でした。この子にとって残り少ない時を過ごす一番幸せなことは・・・と私達は真剣に話し合い、前オーナーと親兄弟とともに最期をすごさせてあげたいと考え帰国させることにしました。縁があって我が家に来た子・・・。連れてくる時点では健康上問題がなかったので金銭的な損失を承知のうえ、前オーナーのところに戻してあげることに決めました。ロムが帰国する前に芦花公園に行って思い出になるようにたくさんの写真とビデオを撮りました。別れの日、私達はロムに幸せにしてあげられなくてごめんねと泣きながら謝りました。しばらくしてから消沈している私達のもとに、なんと前オーナーよりリーマスを差し上げたいと申し出があったのです。ただしウエストミンスター展に出したいので、その後に渡したいとの事でした。ウエストミンスター展ではオーナーがリーマスを、ハンドラーが妹のレイシーを引く予定だったのですが、急にハンドラーが来られなくなり、レイシーの性格上オーナーがレイシーを引き、私達は急遽リーマスを友人のハンドラーに依頼しました。結果はレイシーがベストオブブリード、リーマスはアワードオブメリットでした。もしコミュニケーションがとれているオーナーが引いてくれていれば・・・とほんの少し残念でした。そして、この犬こそが二頭目のベルサリウス(リーマス)です。

アジアインターで衝撃のデビュー

ベルサリウスの日本でのデビュー戦は、1992年のFCIアジアインターナショナルドッグショーでした。ロン・バクストン氏にハンドリングをお願いし、ブリード戦は林歳夫先生、グループ戦はカナダケンネルクラブ会長の故エド・ディクソン氏で、グループファーストに輝いた美しい純白のボルゾイは注目の的でした。

1997年11月4日ドッグショーでの最後のベルサリウス
1997年11月4日ドッグショーでの最後のベルサリウス

ハンドラー佃さんとの名コンビ

ショー会場にて

ショー会場にて

私達はベルサリウスは女性ハンドラーに引いてもらいたいと決めておりましたがアジアインターの後にスタンダードプードルで有名な樋野先生に2度ハンドリングをしていただき、さすが日本を代表する樋野先生。なんと2度ともベストインショー!!引き続きキャンペーンをお願いした佃さんにとってもすごいプレッシャーだったと思います。純白の被毛をなびかせ、まるで天馬のようなベルサリウスと美しく存在感のある佃さんは、まさにピッタリでした。佃さんとベルサリウスは北は北海道から南は九州までドッグショーを回り、全国にベルサリウスファンを作りました。特に清田さんはベルサリウスの大ファンで、一緒に全国各地に応援にいってくれました。トリミングテーブルに上がったベルサリウスは非常におとなしく、貴公子のようにグルーミングが進むにつれ美しくなっていき、会場の人々を釘付けにしていきました。トリミングテーブルのベルサリウスとは対照的にリングでは、さっそうとしてライバルなど存在しないがごとく自分を大きく魅せる走りはまさに独壇場で王者のようでした。1992年度中にベルサリウスは日本を代表する諸先生方によりベストインショーをいただき、この年全犬種で年間最多ベストインショー犬となりました。特にビッグショーでは、数々の名勝負を演じファンシャー楽しませてくれました。佃さんとベルサリウスをドッグショーで見てハンドラーを目指したり、ボルゾイを飼う楽しみを知った方が大勢いました。

多数のチャンピオン犬を輩出

ベルサリウスは種牡としても大活躍。直仔でチャンピオンになった数は数十頭いると思います。アメリカの有名なマジェンカラインのボルゾイとしてはこれ程成功したボルゾイもいなかったと思います。骨格構成の継承はもちろんのこと、ボルゾイとしては神経質ではないすばらしい性格も充分に子犬達に伝えました。

いつも王様だった

11才の誕生日

11才の誕生日

ベルサリウスは自分が何でも一番でないと気がすまない性格で、朝散歩に行くのも一番。可愛がってもらうのも一番。何でも一番が大好きな王様の様な犬だったベルサリウス、自転車で運動していても歩様がきれいで、公園で放してもほれぼれするような美しい光景を見せてくれました。一緒にいてほんとうに楽しい犬でした。1997年の夏から友人の門田さんのところで暮らすようになりました。門田さんのお陰でいつもきれいにしてもらい、王様はさらに王様として扱われていました。

最期まできれいだった

1999年秋風を感じる頃ベルサリウスとの永遠の別れが近づいていました。最期はみんなでベルサリウスを見送ろうと我が家に戻ってきました。きれいにしてもらうことが大好きだったベルサリウス。家族、アシスタントのしのぶちゃんや奈穂ちゃん、そして門田さんと共にどうしてもきれいなままでベルサリウスを送りたかったのです・・・。ベルサリウスのビッグファンの清田さん、ハンドラーの佃さん、ベルサリウスにたずさわって下さった方々がたくさん会いに来てくれました。本当にみんなに愛され最期まできれいだったベルサリウス・・・。

10月8日の夜、門田さんがドライブの大好きだったベルサリウスを車に乗せ遊び慣れた羽根木公園、砧公園、そして一緒に過ごした家にルームメイトだったフォーチューンとプリシラにさようならを告げに連れて行ってくれました。別れがもうすぐそこまで来ているのにもかかわらず、それを全く感じさせない程の最高の笑顔でご機嫌だったベルサリウス。・・・それが最後のドライブになりました。

1999年9月7日ベルサリウス最後の記念スナップ
1999年9月7日ベルサリウス最後の記念スナップ

10月10日 王様、ベルサリウス永眠

11才の誕生日

最近ドリカムのキレイキレイという曲が好きになってきました。ベルサリウスの事のようで、この曲を聴く度にベルサリウスの顔が浮かんできます。

心から感謝をこめて
リーマスが他界後、リーマスの子供を持って下さった数かずの方々からお電話やお手紙、お花を送っていただきました。キャスパーのオーナーの名嘉眞さん、ニューヨークの友納さん、リーマスの素晴らしいコートを受け継いだ子の江上さん、アシスタントだったメグちゃん、カメラマンの中島眞理さん、そして、五島さん、その他暖かい言葉をかけてくだっさった沢山の方々に心からお礼申し上げます。有難うございました。これから、リーマスの子供達は、その優れたブラッドラインを継承し、ベルサリウスの名を残す素晴らしいボルゾイとめぐり会うことを祈ってやみません。現在、全米トップランキング犬のキャスパーとベルサリウスの娘との間に可愛い子供達が生まれております。この子達が未来のベルサリウス復活の日を迎えてくれることを信じております。

大関京子

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追記

本当に素晴らしい子でした。この子が居て、今の私が存在するのです。

若しこの子がいなければ私はボルゾイをやっていなかったでしょうね。

嬉しい事も悲しい事も皆分け合いました。

日本に来て初めてのドッグショーがアジアインターの本部展でした。

当日のハンドラーがはっきりせずに挑んだ本部展。
アメリカのロン・バクストン氏が家に来て何日間かトレーニングするという予定が崩れ、前日(一日目)の本部展でマッチングしようと言う事になり、前日会場に連れて行ったのですが、がロン氏がバタバタとハンドリングが重なり大忙しでした。

とうとう、その日の最後まで会場に居ましたが、結局ロンバクストン氏はリーマスに触りもしなかったのです。
何のために会場に連れて行ったか意味が無いまま本部展二日目の翌日のブリード戦を向え・・・・

会場のパドックでロン氏に手渡しましたが、なんと!ベルサリウス(リーマス)はグルーミングもしないまま、リンクに立ったのです。

私の頭は本当に湯気がみえたでしょうね。かんかんに頭にきておりました・・・ロン氏に対しても!間を取り持ってくれた周りの人々に対しても、目がぎらぎらして怒っているのが自分でも分かりました。

そんな中でスタートしたBOB戦。
すべるようにリンクに登場した日本で始めて見せたリーマスの流れるような美しい歩様、毅然としてリンクに立つリーマスを見た時私は雷に打たれたようなショックを感じました!
あぁ、この子は本物!この子は王様だ!と

その時の担当審査員は林歳夫先生でした。
ベスト オブ ブリード!!この時のこの響きの重々しさは矢張り、今も強く心に響きます。

そして、BOBを手中にしたリーマスを、そこで初めてロン氏があわててブラシを入れ、トリミングし始めたのです。

そして迎えたグループ戦。
ロン・バクストン氏の指先から伝わるリーディングにリーマスはいとも簡単に答えていきました!

周りからこぼれる【ああ、ボルゾイがいくな、】【ぼるぞいだね、これは!】【ボルゾイしかいないね】【ボルゾイ・・・】【ボルゾイだ!ボルゾイ!!】と言う声!!私は髪の毛が総毛立つ思いで震える心を抑えるのが必死でした。

忘れもしないカナダケンネルクラブ会長の故エド・デクソン氏がリーマスを指差した時、感極まった私はその場で泣き崩れていました。

頭が後ろに切り引き裂かれるようなあの緊張感と、あの感動は……
今も心が震えます。

BOBが!グループ1が!というより、あまりにも重なりすぎた色々なトラブルがあっての受賞が、どれほど嬉しかったか語るすべもありません。

そして、ハンドラーの佃さんに任せショーキャンペーンに望み埼玉連合展にて深川泉先生から頂いた最初のベストインショーを頂いた時!!

そしてチャンピオントーナメントに於いて、外人ジャッジでリザーブキングでしたが、そのパーティの会場で五十嵐先生が【うーん、今日はボルゾイがベストインショーだったな】と言う独り言のような言葉を聞いた時、私はこみあげる感動の涙を押させる事が出来ませんでした。

急に涙をぼろぼろ流し始めた私をみて周りの人はびっくりしたのですが、
嬉しかったのです!本当に嬉しかったです!

こうして、リーマスが私にドッグショーの醍醐味を教えてくれました。

リーマス

燃える様な激しさを持ったリーマス!絶え間ない時の流れにゆだねるように静かだったリーマス!リーマスは私の原点です。

リーマスに巡り合い、リーマスの御かげで世界が変わったのです。《出会い》は本当にダイヤモンドのようにきらきら光り輝くものになります。

あれからドッグショーで何回泣いたでしょう?嬉しくて泣き、悔しくて泣き、優しさに泣き
そうして一歩、又一歩、踏み出してきたのです。

人の心の優しさに触れるのもドッグショーのひとつ・・・人の心の醜さをしるのもドッグショーのひとつ・・・知らないよりは色んな事を知った方がつよくなれます。折角もらった命ですもの。そんな強さももらいました。

そして、リーマスはキャスパーへバトンタッチしていきました。

リーマスに感謝をこめて・・・・・・・・・・・・。

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